History

TSPの歩み
          TSP開発のコンセプトは、特に産学連携や製造業セクター間の連携により、タイ民間セクターの競争力を高め、様々な変化の潮流にも乗ることができるよう科学技術インフラの整備を推進し、国のイノベーションシステムを強化する必要性から始まりました。将来国家が発展するためには、有効なメカニズムを開発、国のインフラを確固たるものにして、弱点を克服することが必要だったのです。こうしてTSPが設立されることになったわけですが、第6次国家経済社会開発計画においても、サイエンスパークの設立と開発が明確に示されました。科学技術エネルギー省(現科学技術庁)、大学庁、教育省の3省庁が1985年から1987年にかけて設立に向けた調査を担当することになり、オーストラリア政府の援助を受けた科学技術エネルギー省が、数回に渡り、職員をオーストラリア視察に派遣して、準備を進めました。

         
1988年 
科学技術庁は、TSPの共同開発に適した土地提供に関し、AIT アジア工科大学院に協力を求めました。翌1989年には、アジアのサイエンスパークプロジェクトの経験もある国連科学技術開発基金(UNFSTD)にコンタクトを取り、TSP設立調査のための訪タイを依頼、同年4月に実業家、経営者、学者、技術利用者、金融機関、官民セクターに情報を提供、協議検討を行うセミナーを開催しました。その結果、大半から支援の意向が得られたことで、経済大臣は当時の科学技術エネルギー省に対し、タイ初のサイエンスパークとなるTSPの設立を承認したのです。

 



 
        
         政府は1989年7月4日にTSPプロジェクトの実行を承認、国立科学技術庁(NSTDA)にその運営を委ねました。その後、1993年7月27日に、将来の国家科学技術インフラの開発を後押しし、国の経済的・社会的発展を支援、さらには国の持続的競争力を強化するための11億9,300万バーツのプロジェクトが内閣にて承認されました。さらに1994年には、ビル建設に約40億、科学機器に約30億を配分する総額69億5, 800万バーツのプロジェクトへと計画が変更されました。          
         TSPはパホンヨーティン通り42km、タマサート大学ランジットキャンパスとアジア工科大学院(AIT)の間に位置します。TSPは現在、第1次開発が完了、9万㎡の敷地を持つ第1ビル群には中央オフィスビル、タイ国立電子コンピューター技術研究センター (NECTEC) ビル 、タイ国立遺伝子生命工学研究センター (BIOTEC) ビル、タイ国立金属材料技術研究センター (MTEC) ビル、公共サービスビル、そして3つの国立研究所のパイロットプラントビルがあり、2002年にオープンしています。